ペー ジメニューへもどる
カウンター

PINKLADY のアメリカが覗けるCD

ピンク・レディー・イン・U.S.A

VIVIDより発売されている
復刻盤第1弾
アメリカのPLはこれでキマリ!

ピンク・レディー・イン・U.S.A

ビクターより発売されている
当時の雰囲気を詰め込んだ
紙ジャケットもの

プラチナ・ボックス

KISS IN THE DARKの12インチ
バージョンなども
聴けるプラチナボックス
アメリカ!アメリカ!アメリカ!

初のアメリカ公演
ラスベガスのステージはこちらに
収録されています
ジャンピング・サマー・カーニバル

後楽園球場でのライブ盤
これをきっかけにアメリカデビューが決定した
とにかく迫力のステージです

ウィ・アー・セクシー
アメリカ進出後、日本国内で発売されたディスコ・ナンバーのカバー集
Kiss in the darkの日本語版も収録


ピンク・レディーの活動は基本的には今まで誰もやれなかったエンターテイメントをやってきたということである。そんな彼女たちの道は最初からショウビジネ スの 本場アメリカへと向けられていた。そのアメリカでの活動をじっくり検証してみよう。

ラスベガス公演
1978年2月3日東京ヒルトンホテルにてラ スベガス公演の記者会見が行われた。
デビューから1年足らずでの海外公演決定は当時、快挙といわれた(実は前年暮れの武道館公演のときには発表していた)いままで海外公演をしてきたアーティ ストはピンク・レディー以外にもいた。しかしデビューからまだ1年ちょっとの新人が海外でそれもショービジネスの本場ラスベガスでやるというのだからこれ は前代未聞の快挙といえるであろう。
公演期日は1978年4月21 日、22日の2日間トロピカーナホテルのファウンテン劇場において行われた。
デビュー当初から今までにない歌って踊る斬新なスタイルは世界でも興味深かったのであろう。あちら(アメリカ)からお話をいただけるとはミーとケイの国際 的なスーパースター性を見抜いてのことであろうといえる。アメリカ進出の第1歩はこのラスベガス公演の成功から始まるのである。
公演の3日前にラスベガスに到着したふたりは 早速リハーサルの繰り返し。日本でもかなりの練習はしてきたが、やはり本場での練習には熱が 入る。ミーとケ イのふたりよりも早くから現地入りしていたスタッフたちはあちらのスタッフたちと喧嘩をしながら今回のショーをいいものにしようと精一杯の情熱を注ぎ込 む。もちろん当の 本人たちもその意気込みはあった。初の海外公演、歌はもちろんスピーチも英語で行われるため何度も何度も拙い英語であいさつの練習を繰り返すふたり。デ ビューから1年半でここまで来てしまったピンク・レディー。やはり不安は隠せないかも知れないが後はやるだけの気持ちで挑んでいったのであろう。リハーサ ルの合間を縫って歓迎レセプションなども開催されました。ラスベガスジョッキークラブとういうところで。色んな関係者や取材陣が詰め掛けそれはそれは賑や かな歓迎式でした。
さあ、いよいよ本番まであと1日泣いても笑ってもあと1日後には本番です。そんな想いの中緊張と不安が入り乱れ尚一層練習に熱の入るふたりがそこにはいま した。



"WE ARE PINKLADY"
ダンサー6人によるダイナミックなダンスにの せてスターウォーズのテーマで幕の開いたステージ。
Ladies and Gentlemen Japans most exciting singing and dancing group "PINK LADY"
の 紹介のあとアバ のナンバーでおなじみThat's Meのイントロでいよいよミーとケイの登場です。ふたりのバックを務めるオーケストラはあのチャック・レイニー率いるリズムセクションのメンバーたち。最 高の音楽家たちを前にアメリカラスベガスでのショーの幕は切って落とされた。650席満員のお客さんたちの盛大な拍手に出迎えられ少し緊張気味にも日本語 の歌詞でしっかり熱唱。


次のあの娘はアイドルからのメドレーでSinging and Dancing Groupをしっかりアピール。今考えるとちょっと凄すぎるほどのSTEPです。ひとつの音にひとつの割合でSTEPがあるわけですからとてもあれで歌が 歌えるとは思えない。が歌ってるところがピンク・レディーの凄いところで、やはりアメリカでショーをやるだけの価値のあるものだと改めて思う。率直にいっ て面白いのである。見てる側を退屈させないということはかなり凄いことであり、まだ20歳そこそこのそれも日本人の女の子たちが挑むには凄すぎる舞台でそ の中で緊張しながらも見せるSTEPと歌には計り知れない魅力が詰め込まれているようでやはり彼女たちは世界へ向けての活動がらしいと思われた。
ショーは次にスピーチを経てスティービーワンダーの愛するデューク。シュープリームスのStop in the name of loveと続くそしてこの後ロックンロールパーティと称したロックンロールメドレーである。ダイアナに始まるメドレーは前年暮れの武道館公演でもやってい るが今回は全曲英語で歌う。このメドレーの中各所で拍手が沸き起こった。
アメリカ人にとったらどれもな じみの深い曲ばかりである。それを日本人の女の子たちがキュートに踊って歌う姿はとても興味深いステージであったであろう。 その中で最高だったのはツイスト&シャウト。ケイちゃんのドス?の効いた声に観客はもうノリノリ
Shake Up BABY!!と最高のシャウトはとても日本でアイドルと呼ばれている歌手の歌ではありません。どうして彼女たちは日本でアイドル歌手だったんだろう?と 思ってしまうほど、この頃からビートの利いた歌唱法は完璧な出来栄えだったと思います。
それぞれのソロ曲ミーの Without youケイの朝日のあたる家もそれぞれにいい出来であった。ミーの透き通るような高音にベストマッチした、ニルソンのWithout you、ケイの魂のシャウトが奏でるアニマルズの朝日のあたる家。ピンク・レディーとは違った1面を見せた後日本でのオリジナルナンバーの披露である。そ れぞれの日本でのミリオンヒットの魅力をたっぷり味わった後ラストはI LOVE HOW YOU LOVE ME。最後シャボン玉の飛び交う中最高のハーモニーで奏でるI LOVE HOW YOU LOVE ME。
その歌に約2時間のステージをまた思い起こすかのような余韻を残してエンディング。メンバー紹介の後Good-bye  Thankyou verymuchといいながら最後のごあいさつ。会場が壊れそうな大きな喝采の中ピンク・レディー初のアメリカ公演は大成功のうちに幕 を閉じ た。
公演終了後、自信をつけた彼女たちの仕事ぶりはますます巨大化するモンスターアイドルPINKLADYの存在を周囲に知らしめたことは周知のところであ る。

こ の公演の模様はLPアメリカ!アメリカ!ア メリカ!でその魅力を余すとこ無く伝えている。
僕の絶賛するロックンロールパーティは収録されていないが、オープニングからエンディングまで
少し緊張しながらも一生懸命歌っているミーとケイの生が聴ける1枚である。
あれだけのSTEPを踏みながら歌がちっともぶれていないのはやはり凄いと思う。
後に安室さんやMAXなど踊りながら歌うアイドルは出てきたがやはり原点はこのふたりであり、
何度考えてもアメリカからの要請でショーが出来たという事実、そして、日本のバンドなどではなく現地でのバンドしかもチャックレイニー&リズムセクション がふたりのバックを務めたということ。コーラスもダンサーも全て現地での調達というのも素晴らしい事実である。実際音的には少々リズムとかテンポとか微妙 なところでの違いはあったかと思われるがその中でもあれだけの完成された音はやはり一流ミュージシャンたちだなあと思う。
本場での勝負に勝ったふたりはデビュー当時から歌ってきたいわゆる洋楽の世界へと第1歩を踏み出した。
今までのスタイルと全く違ったスタイルでのデビューはピンク・レディープロジェクト最大の大仕事アメリカへとこんなにも早くチャンス到来だったのだ。この 後全米デビューはみなさんご存知ですよね。
そのアメリカデビューが次回のお話です。ではまた。
(※このアルバムをお求めの方はジャケット写真をクリックして下さい)








アメリカデビュー





今回はピンク・レディー物語の ページに記載し ている、マンガとともにアメリカデビューのお話です。すでに先日発売されたケイさんの自叙伝を読まれた方はご存知だと思いますが、LIVEのコー ナーに載 せている後楽園球場での、7万人コンサートがアメリカデビューのきっかけであった。

左のマンガにも載っているが「ピンク・レディーか。・・・ ふむいい な。」と。
この人物は実はマンガではウイリアム・ガーナー氏となっているが、自叙伝ではポール・ドゥルー氏となっている。実際にはケイさんの自叙伝が正解だろうが、 どちらにしても、アメリカ側からの要請でのデビューというのは変わらない。実際、各メディアでは未だにピンク・レディーは大金を持ってデビューさせても らっ たと報じられているが、これは全くのデタラメであり、あくまでも、ア メリカのレコード会社にスカウトされたというのが本当のところなのだ。
子供だましの歌を歌い、たかだかアイドルがアメリカ側からスカウト?と未だにメディアの方々はピンク・レディーを低く見ている。だから今でもモー娘、お ニャン子ら一大ムーブメントを起こしたアイドルと同系列でくくられているのだと思う。ブームだけに視点をおけばそういう面もあるかもしれないが、やはりこ こはファンとして全く違うものなのだと強く主張したい。あくまでもステージシンガーなのだピンク・レディーは。
実力というものが今もなおピンク・レディーをやれる理由なのだから・・・。
 さて、デビューの話だが、最初のデビューシングルはこの時LoveContdownの予定であった。レコーディングは78年10月14日〜24日までの 10日間と決められた。わずか10日で英語の曲を、それも世界発売するための?普通考えたらムリですよねえ。
だいいち、アメリカ人が聞いて違和感ない英語なんて・・・。しかし、スケジュール多忙なふたりにはわずか10日の時間しか与えられなかったのだ、そして もっとも難関なのは言葉もそうだが、アメリカ人の納得するリズム感である。日本人が元来染み付いているのはもともと、盆踊りだの、日本舞踊などであり真似 事のリズムは踏めても、アメリカ人の納得するリズム感というのはかなり難しいと思う。単にリズムに乗るだけではダメなのだ。心から体からノッテいかなけれ ばアメリカ人は納得しない。言い換えれば、踊るのではなく、心底音楽の中に乗っていくという表現の方が妥当であろう。文化の違いを埋めることは並大抵の努 力では成しえない。それを10日で・・・。ふたりとも正直辛いレコーディングであったであろう。帰国後のコメントに「夕陽をみながら涙が落ちてきました。 正直日本に帰りたいとも想いました。」と。このマンガにもその辺りは詳しく載っている。でも、ふたりはプロとして最高の集中力でこの難関をも突破した。レ コーディング最終日OKのサインをもらったときには本当に感極まったことであろう。実際にはシングル発売はこの時のLoveContdownではなく Kiss in the darkに変更となったが、アルバムには ちゃんと収録している。まさにキュートなボーカルは後にアメリカでの活躍を予感させるほどの素晴らしい出来であった。発音もバッチリ、リズム感もバッチリ なアメリカンポップスであることはファンのみなさんであればご存知でしょう。レコーディングから帰国後の二人はまた更に自信をつけたようだった。コメント に「もう、絶対歌えな いと思っていた歌を歌えたということだけで、満足です。売れるか売れないかなんてどうでもいいです。でも、売れなきゃ事務所の人は困るかな(笑)」と。や は り、絶対ムリと思われることでも、がんばればできるものなんですね。人間の持つ可能性って素敵なものですねえ。実感!
それから、冒頭で出てきました、ポール・ドゥルー氏は後にあのノーランズをプロデュースした方である。アメリカでのピンク・レディーと非常によく似ている のはそのせいだろうか?ピンク・レディーとノーランズ。以外なところでの、接点はあまりしられていない。
では、次回はアメリカ進出本格始動でありますよ。
お楽しみに〜













 
アメリカ進出本格始動!
1979 年に入ってまず、1月3日発売予定 であったLoveCountdownが発売延期となり、1月4日〜10日まで、ロサンゼルスへと再吹込みのた め、渡 米。
本格始動はここからスタートするのである。(後にデビューシングルはKiss in the darkに決定する)
3月に入ってレコードキャンペーンなどで、1ヶ月再び渡米。この頃のピンクのレギュラー番組NTV系ピンク百発百中や、ベストテンなどの歌番組の出演は全 てVTR収録で流れていた。
そんな折、ビッグニュースが!CBSTVレイフギャレットショーにゲスト出演!15分間の出演だったが、これを機にアメリカでの露出が多くなり、後々の NBCレギュラー番組の獲得はこの時の出演がきっかけだったという。
 さて、このレイフ・ギャレットショーに出演したのは、これもひとつのご縁でしょうか?
実はピンク・レディーのデビューシングルを書きプロデュースした方をご存知でしょうか?・・・・(知ってるよ〜と聞こえて来ました)
そうですね、マイケルロイド氏ですね。このマイケルロイド氏は自宅にスタジオも持っていて、いつでも気が向いたときレコーディングからミックスダウンまで やるそうで、綺麗な庭のついた家に住んでいるそうです。ピンクのお二人もここで、最高の雰囲気の中レコーディングしたのですね。
なんでも、いいものを録るには環境からなんだそうです。なるほど〜さすがですね。
その、マイケル・ロイドプロデュースの一人がこのレイフ・ギャレットなんです。I was made for Dancin' という曲はご存知でしょうか?ピンク・レディーのお二人も後のコンサートなどで歌ってましたし、アルバムWE  ARE SEXYにも収録 してますね。それにあの後楽 園での解散コンサートのアンコール曲もこの曲でしたね。覚えてます・・・ね。
当時、日本でも大ヒット。その時のアイドル川崎麻世さんが♪愛・それはダンシングお・お・お・おどろ〜と歌ってました。覚えてます?後々に田原俊彦さんの デビュー曲哀愁でいとの原曲ニューヨークシティーナイツを歌ったのもこのレイフ・ギャレットなのです。
それと、プロデュースしたマイケルロイド氏ですが、1987年アメリカでヒットし、後に日本でも上映され、ヒットした映画ダーティ・ダンシングのサウン ド・トラックも手がけていました。その映画は僕も見、ビデオとCDも持っていますがなんともダンスシーンの音楽が最高でした!誰だろう?とサントラCDを 買ってみるとなんと、マイケル・ロイド氏だったのです。偶然の再会はこんなところにも・・・と想い、やはりダンスミュージックはさすがだなあと思ったもの でした。このダーティ・ダンシングはサントラ盤が2枚も出て、後にこの中の曲のコンサートまで行われるほど、大ヒットしたのです。ちなみにこの映画のヒロ イン、ジェニファー・グレイは最高にキュートな女の子でした。相手役は後に映画ゴーストに主演したパトリック・スエイズ。彼のダンスは凄かったですよ〜今 でも印象的に残っています。1960年代のアメリカを舞台にしたストーリーでオールディーズナンバーも満載の映画でした。(オープニング曲は BeMyBabyでしたね)
このサントラ盤からはエリック・カルメンのハングリー・アイズが日本でも大ヒットしましたね。

↓そのダーティ・ダンシングのサン トラCDとDVDはこちら
  


 さてさて、話がそれてしまいましたが、このレイフギャレットショーに出演の際、ピンク・レディーのお二人はブルーのパンツの左側にKiss in the darkのシングル盤の蝶(シルバー)が刺繍されたデザインの衣装で登場。下に映像があります。

まず、彼女たちが大好きだというトム・ジョーンズ(ピンク・レ ディー大百科参照)の 曲でアメリカでのアルバムにも収録(レコードはB面1曲目、 CDは6トラック目)しているLove me tonightをレイフと一緒に歌い、インタビューの後、デビューシングルKiss in the darkを披露。ディスコを借り切ってのステージだったそうで、当時アメリカ人の目に彼女たちはどのように映ったのでしょうか?
確かに1年前のラスベガス公演では現地の人々の喝采を受け、大成功でした。が、コンサートを見た方々はあの広いアメリカの中ではごくわずかな人たちです。 それが今回はアメリカ全土に流れるテレビの出演。アメリカ人の日本人における印象といったら・・・多分・・・ENKA(演歌)だったのでは?ないかと思い ます。その日本人の女の子たちがアメリカのそれもブラックなディスコサウンドの曲を踊りながら歌う光景はかなり異色に映ったはずです。
でも、ミーとケイのキュートなルックスからは想像も付かないダークな歌いっぷりにアメリカ人の関心を引いたのではないかなと思います(僕、個人の勝手な見 解ですが・・・)その大成功の足音はこのレイフ・ギャレットショー出演の時から、かすかではあるけれど聴こえていたように思います。
日本人の誰もがやれなかった、そして今もなお誰も実現させていないアメリカでの快挙はこの後、もうすぐやってくるのです。
では、その最初の快挙ビルボードTOP40入りのお話はこの後書いていきます。お楽しみに〜


ちょっとちょっと〜
ん・・・あ〜ステップくん(管理人)
あの〜ちょっといい?
なにが?(管理人)
いや〜ちょっと・・・
・・・いいよ・・・(管理人)
よし!じゃあ登場するよ〜
・・・ん・・ん・・よっこいしょっと・・・ ぷぁ〜
やっと出れた〜ハ〜イみなさん!こんにちは!ステップです!
実はね。このレイフギャレットショーは〜アメリカだけの放送じゃあなかったんだよ。
ヨーロッパなどの英語圏でも放送されたんだ〜。
へ〜そうだったんだあ(管理人)
うん。そうなんだ〜。
だから・・・管理人さんのコラムも間違ってないんだけど〜当時のアメリカ人の目にはどう映ったんだろう?っていうのは〜ちょっと狭いかなあ。
なるほど〜(管理人)
アメリカ人だけでなく、ヨーロッパ諸国を始め、英語圏の人たちにはどう映ったんだろうっていった方がいいかもね。
あっそうか〜ありがとうステップくん(管理人)
いえいえ。まあそんなとこかな
でも、ホント詳しいねえ(管理人)
このデッカイ頭の中にイ〜ッパイ詰まってるからねえ
そっか〜それでそんなに頭でっかちなんだ〜笑(管理人)
頭でっかちーっ!!
あっゴメンゴメンちょっと口悪かったね。ごめんよ〜(管理人)
まあいっか。このページ助けてやんなくちゃあ・・ね。管理人さんひとりじゃ・・・ムリだろうからね
なんだとーっ!!(管理人)
ごめ〜ん言い過ぎたよ〜・・・でも・・・ん・違う?やられたらやりかえすよ〜
・・・絶句(管理人)
ま、けんか両成敗か?(管理人)
・・・そうだね。けんかするほどなんとかとかいうしね
そうだな(管理人)
まあ、また頼むよ(管理人)
うん。また来るね。ではみんなバハハ〜イ

Billboard
ピンク・レディーのデビューシングルKiss in the darkがアメリカビルボード誌でTOP40に入ったというのは有名な話であるが、最高37位というのがどんなものなのか本当のところ日本人は知らないの では? と思う。
何故なら日本のヒットチャート誌といえば、オリコンが主流で日本のオリコンで37位といえば「は〜ん大したことないね」という感覚で判断するから である。確かに日本でメジャーなヒット曲になるにはベスト10入りして初めて認知される。過去ザ・ベストテンという番組がヒットしたことからも頷けること であろう。そして日本でのイメージ。小難しい音楽をやってるアーティストは認めてもアイドルは認めないという風潮は未だに残っている。今回UTADAがア メリカデビューしたことで日本人アーティストによるアメリカ進出が再び話題を呼んでいるが、坂本九のスキヤキ1位説はさすが〜の声だがピンク・レディーの 37位には全くといっていいほど関心が集まらない。それはやはり、日本でのイメージが全てを決定付けているといっても過言ではない。ここでアメリカでのビ ルボードについて、少しご説明しよう。
日本のオリコンでは全部ごちゃごちゃのチャートであるが、アメリカの場合、実に20種類以上の部門別のチャートがあ る。その全ての部門別(ジャンル別)の総合がキャッシュボックスに反映して総合チャートになります。だから・・・たとえば・・・ダンスチャートで1位を 獲っても、総合では200位だったり、とかそんな感じです。それほど、TOP40に入ることは難しく険しい道なのですね。なんてったって日本とは規模が全 く違います。曲の多さも違いますしね〜。
では、何故TOP40なのか?というと日本でベストテンヒットと同じ感覚がビルボードのTOP40といった感覚でしょうか?ん〜もっと凄いことかなあ。 (ベストテンで5位以内の感覚?)結局アメリカで79年当時何が主流だったかというと、ラジオなんですね。みんなラジオで流れる曲がヒット曲という認知を 受けていたのです。た〜くさんある曲の中から無条件に流される曲はTOP40入りした曲だけ!なのですよ。無条件に認められる曲ということが大きな違いな のですね。当然TOP40入りしたKiss in the darkはバンバン流れていたわけです。少しご理解いただけましたか?
私が以前、ピンク・ レディー第四章 LastPretenderのところでYMOの方々が「我々は日 本でアメリカ進出大成功!といわれとても不思議に思った」といっていたことは下にのせているチャート記録をご覧いただければお分かりになると思いますよ。 ほら、ピンク・レディーの方が上でしょ?それだけ日本には日本だけのイメージでの報道がなされていたわけなのです。
そして、最後に日本と違い「いいものはいい!」と認めるアメリカでのチャート・イン だからなお価値があるのだと想います。
日本では楽曲よりも誰が歌っているかということが大きく例えばいい曲でも 歌ってる歌手の印象で売れなかったりということが多々あります。それは日本古来の義理人情が反映された現象であり、(その義理人情が日本のいいところでも ありますが)過去のヒット曲と今のヒット曲では多少違いは出てきていますし、レコード大賞などの権威が薄れていることからも本物を認めるという風潮は出て き ていますが、相変わらずアーティストの印象のみのセールス記録は後を絶ちません。言い方を変えればつい、何年か前のヒット曲でも今はもう全く残っていない 曲のなんと多いことか。それはアーティストのコレクション的なセールスばかりが横行している現象なのだと思います。根本的に歌を評価する人は少なくその アーティストの曲であればなんでもいい!ということで残らない曲が多くなっているのだと思います。ピンク・レディーのアメリカを評価しないのもピンク・レ ディーはブームの一種としての捉え方しかされていないことを実証する、つまり、以上に述べてきたことを分りやすく表すのにもっとも顕著な実例だと思いま す。日本という島国の中での評価と違い。民主主義の根本アメリカではそんな義理人情もなにもありません。誰が歌っているかということよりも、どの曲がとい う視点の違い。そこでのチャート・インがどれほど価値があるかということをファンのみならず、みなさんにご理解いただきたいと思います。今でもアメリカで はピンク・レディーの根強いファンもいるとかで、20数年たった今でもアメリカではピンク・レディーを素直に評価しています。それはこの後、載せる予定の NBCでの番組が最近になってDVD化されるということからもうなづけることではないかと思います。日本のみならずアメリカでも、衝撃を与えたビッグネー ムPINKLADYのファンであるということに我々は更なる飛躍を願ってやみません。



は〜いみなさん!では、ここで、僕の登場で す。
ビルボードのことのついて管理人さんがあつ〜く語ってますが、その通りアメリカでは日本と違いロック、ソウル、カントリー、ダンスなどほ〜んとにたっくさ んのジャンル別のチャートがあるんだよ〜。その総合でのTOP40入りってミーちゃんケイちゃん以降だ〜れも実現させてないんだよ。僕もよ〜く考えなくて もすっご〜いとおもっちゃいました。世界のトップクラスしかチャートインできないTOP40そこに日本人として入ったんだからコレ凄いよね〜。
あのロッド・スチュワートさんなど日本で有名なアーティストすらビルボード初登場は60位〜70位くらいからだっていうから比較するとほんと凄いと思う よ。
管理人さんがピン ク・レディー第四 章LastPritenderのところでYMOの方々のコメント をのせてるのも納得だね。
でも、今回は僕がコメントするところ管理人さんに全部いわれちゃった。(くやしい〜!)
へへ〜んどうだい!俺もちょっと勉強したのさっ!
(管理人)
くっそ〜今回は負けた〜
クックック・・・(嬉笑)
(管理人)
よ〜し次回はがんばるよー!じゃあまたね
次はいよいよNBCだよお楽しみに〜
(管理人)

過 去の日本人アーティストによるチャート記録

シングル総合チャート
1963年 1位 坂 本九「SUKIYAKI(上を向いて歩こ う)」4週連続
1979年 37位  ピンク・レディー「KISS IN THE DARK」
この赤い字のところが認知された楽曲ということになります!
ここに辿り着く日本人アーティストがなかなか現れないのです ね。
1990年 54位 松田聖子&ドニー・ウォールバーグ「RightCombination」
1963年 58位 坂本九「China Nights(支那の夜)」
1980年 60位 YMO「Computer Games」R&Bチャート18位
1981年 81位 横倉裕(YUTAKA)「LoveLight」R&Bチャート61位
2000年 108位 di honda 「EL PRESIDENTE」HotRapチャート34位、
HotR&B/HipHopチャート62位
ピンク・レディーと同じく日本のアイドルと呼ばれる松田聖子さんも個人でのチャートインはありません。いかに難しいかがわかりますね(今後、頑張っていた だきたいです)
坂本九さんのスキヤキはアメリカ人のもっとも好むジャズのコード進行と似ていたそうです。(納得)

シングルセールスチャート Hot100 Singles Sales 
1981年 81位 横倉裕「Love Light」R&Bチャート61位
2000年 108位 dj honda「EL PRESIDENTE」
2001年 39位 倖田來未「Trust Your Love」ダンスチャート1位

アルバム総合チャート
1963年 14位 坂本九『Sukiyaki and Other Japanese Hits』
1986年 64位 ラウドネス「LIGHTNING STRIKES」(初登場記録)
1985年 74位 ラウドネス「THUNDER IN THE EAST」
2004年 160位 Utada「EXODUS」

その他部門別
1972年 富田勲 「月の光」クラシカルチャート1位
1990年 オルケスタ・デ・ラ・ルス「DE LA LUZ」ラテンチャート11週連続1位
1990年 喜多郎 「古事記」New Age albumチャート8週連続1位
2001年 松居慶子「DEEP BLUE」コンテンポラリー・ジャズチャート1位

ダンスミュージック・クラブプレイチャート
2003年 15位 松田聖子 「Just For Tnight」
2004年 3位 Utada「Devil Inside」
2004年 9位 Ono(オノヨーコ)「Everyman...Everywoman...,」

UTADAさんはダンスチャートでは1位を獲得したそうですが、総合ではまだ難しいようですね。(UTADAさんも頑張って!)

ダンス系ラジオ局オンエアチャート(対象ステーション9局)
2004年 22位 Utada「Devil Inside」

夢の国アメリカへ
世界のスターになるべく憧れて
アメリカ進出を行った
日本のアーティストは他にも
八神純子さん、矢沢永吉さん、
Nokkoさん、
久保田利伸さん、ドリカム、
チャゲ&飛鳥、Winkの二組、
中森明菜さん、ジュディ・オングさん、
矢野顕子さん、倉木麻衣さんなどが
いるんだけど、
誰もビルボードのTOP40はおろか
200以内にも入れなかったん だよ。
いかに難しくて
いかにピンク・レディーが凄いかが分るよねえ。
PINK LADYのアメリカでのアルバム











ピン ク・レディーのアメリカでのアルバム「ピンク・レディー・インUSA」 の日本発売盤に福田一郎さんという方が載せているコメントを掲載いたします。
アメリカの業界に精通している方の文章はアメリカでのピンク・ レディーを正 当に評価するのに大切な一文だと思います。ファンの方々はもっていらっしゃるでしょうが、知らない方々にもっと知ってもらいたいという一念で掲載いたしま す。このことで何か不都合が生じる場合はご連絡下さい。早急に対応いたします。

ねえねえ管理人さん。
ん?なんだい
(管理人)
福田一郎さんてあのアメリカでさあ 
グラミー賞のコメンテーターやってる人でしょう?
うん。そうだよ。よく知ってるねえ
(管理人)
やっぱ り!そうだよねえ。
凄いねえでもその福田さんがピンク・レディーのこと書いてるな んて〜

そうだよねえ。グラミー賞といえば毎年行われてるアメ リカでもっとも権威のある音楽祭。

いろんなアーティストにインタビューしている方なんだ よ。
(管理人)
そうそ う(笑)あのベストヒットUSAの小林克也さんの大先輩なんだよねえ

そうだよ〜アメリカの音楽業界に最も精通している音楽 評論家なんだ。

(管理人)
じゃ あ、知らない人もこのライナー読んだらもっとアメリカでのピンク・レディーがよくわかるね!

そうだね〜みんなにもっと知ってもらいたいからね

(管理人)
みんな 〜パソコンにかじりついてよんでね〜





ちなみにこのライナーの筆者福田一郎氏は残念なことに
2003年9月4日に肝不全のため、他界。78歳でした。
あのモーニング娘の産みの親でもあった。
亡くなったんだあ。福田さん。

そうなんだよ。残念だけどね
(管理人)

でも、管理人さんが掲載してあげれてよかったね

そう?そうならいいけどね。
今でも健在ならまた何かの形でライナー残していただけた かも知れないんだけどね
(管理人)

管理人さんが頑張って載せていけばいいじゃん

そうだね。みんなが知らないアメリカのピンク・レディーをこれからも載せていく よ
(管理人)
頑張って!

うん。頑張るぞ〜!
(管理人)

※今回、ちょっと凄い表現が中にはありますが、笑って流していただきたいと 思います。ご了承下さいね。^ ^

PINKLADY SHOW
NBCテレビ
レギュラー番組の全て

PINKLADY&JEFF


みなさん、いよいよ最終章。
アメリカでのピンク・レディーがどれほど凄 かったのか、このNBCでのピンク・レディーショーという番組で明かされます。
アメリカでもレギュラー番組を獲得することは本当に難しいことであり、ましてや日本人。いいえ外国人がアメリカでそれも金曜日のゴールデンタイムに放送す る番組のレギュラーなんてとんでもない話そんじょそこらに落ちてやしませんよ〜。当時、アメリカ人以外でレギュラーを持ったのは何を 隠そうPINKLADYが初めてだったのです。
そんな、ほんとに難しいアメリカ3大ネットワークのひとつNBCで獲得したレギュラー番組のお話でPINKLADYinU.S.Aのコーナーはおしまいで す。

ラスベガス公演に始 まりわずか2年ほどの間にほんとにあっというまにアメリカでのメジャー化に成功したアーティストPINKLADY。
日本での人気後退なんかなんのそのアメ リカではこんなにエレガントな二人が活躍していたのです。
今見ても、衣装の雰囲気や着こなしなど全く違和感がないほどアメリカでは日本にはない垢抜けたセンスがあったのだと思いますね。
ほっ、んとに綺麗なふたりがアメリカの茶の間では流れていたんですね。
今、アメリカでもこの番組ピンク・レディーとジェフはDVD化され、(3年前)これからも永遠に残っていくでしょう。
でも、1980年放送のこの番組が何故、今頃に なってDVD化されたのでしょう?日本の報道通り不評で打ち切りになった番組なら今更DVD化もないでしょうが、当時からの根強いファンが今でもアメリカ にはいるという証なのではないでしょうか?
というのも、この当時、このPINKLADYの番組は平均視聴率22%を超えていたというから更にビックリの事実。今更DVD化の話も頷けますね。うんう ん。
日本でも平均視聴率20%台というとかなり凄いヒット番組なのです。みんなが知ってる有名な番組それが視聴率20%台の番組なのですよ。お分かりになりま すか?それほど、アメリカではPINKLADYは大歓迎されたスターだったということなのですよ。
これにはいささか私もたじろぐほど驚きました。噂には聞いていましたが、そこまでの実績を残したとはPINKLADY万歳!っといった感じです。
このピンク・レディーショーがNBCで放送された経緯はやはりアメリカでのKiss in the darkのヒットが決定的な要因であると思いますが、前年79年春から精力的に行ってきたプロモーションの頃からNBCが目をつけていたということも 大きな要因だと思います。79年4月〜6月にかけて20ほどの番組に出演していたPINKLADY。その時点から目をつけられる。
これって凄くないですか?想いを越せばわずか3年前スター誕生のころにそこまでの可能性があるなんて誰が思ったでしょう。運よく変わった視点(失礼で す!!ごめんなさい!!!)で彼女たちを見てくれた方(ビクターの飯田ディレクターとT&Cの相馬制作部長)がいたからこそ日本発世界級のブランドは誕生 しましたが、あの時彼らがスタ誕決戦大会の会場にいなかったら・・・なんと恐ろしいことでしょう。
そして彼女らの強力なバックボーン(阿久、都倉、土居の3先生)がいなかったら・・・想像したくないですね。
でも、ショービジネスの本場アメリカはそんな彼女たちの可能性を率直に受け止め、そしてスカウトした。これはやはり何度考えても凄いことである。そしてデ ビューのプロモーションの時点から注目される。
このこと自体でアメリカ進出成功といえるのではないだろうか!!!いやはや少し、興奮気味で申し訳ない。
そして、ビルボードTOP40入りという実績を残したことでNBCは本腰に彼女たちの獲得に乗り出した!ということでしょう。
よく日本では大金を積んでアメリカでのレギュラーを獲ったなどと馬鹿馬鹿しい報道があり、アホな日本人はひがみ半分面白半分にそんな報道をまともに受け、 信じていたが全くのデタラメである。(今回かなりひどい表現でごめんちゃい。ちょっとそんなくらいひど過ぎるというのを表現したかったのです わかって ね。わかってください〜)
もし、大金を積んでレギュラー取れるのならこんな簡単なことはありません。そんなものでレギュラー取れるならPINKLADY以外でも出来たことでしょ う。日本の社会では金を積んでというのもありえるでしょうが、それでも当たりそうというのが前提ですよね。ショービジネスの本場で本物しか求めない世界で 当たるか当たらないかわからないものにいくら金を詰まれても金曜日のゴールデンタイムにそんなもの流せる訳がないと思います。金を積んで深夜番組の5分間 くらいではないでしょうか?そんなものだと思います。
アメリカ全土に流れ、誰もが見る可能性の強いゴールデンタイムに流す。
そして、アメリカ人以外がゴールデンタイムでのレギュラー獲得。
これがいかに凄いことか・・・改めていう必要もないでしょう。

この記事と同じ内容のことを
ライブのMCでミーちゃんケイちゃん
が言ってますよ〜

嬉しかったです。
↓DVD見てね

先ほど、アホな日本人などと書いてしまい失礼しました。しかし、僕もそんなアホな日本人なのであります。(顔を見るとえっと思うかも知れませんが正真正銘 日本人です 笑)当時、本当にそうなのかなあと思ったことありましたから。しかし、当時の日本はアメリカからの正確な情報はあまり流れてきませんでした。
当初6本契約が好評なため、10本に延長したいとNBC側から依頼がありましたが、日本側の理由で最初の約束通り6本で。ということで帰国したことが、 10本から6本に打ち切りと日本では報道されたのです。このことからPINKLADYアメリカ進出失敗となったわけです。
でも、彼女たちの出演したそのレギュラー番組の平均視聴率は22%だったという事実からしても、好調な番組をどうして打ち切りにすると思いますか?この数 字が表す事実(視聴率)だけで、日本側の報道に誤りがあったことは周知の通りだと思います。日本側の理由で帰国することとなった。そのあたりの詳しい詳細 は先日発 売された、ケイさんの自叙伝に詳しく掲載していますが、日本側でこれ以上アメリカにいて欲 しくないということを訴えたのはケイさんと・・・ビクターレコー ドだったのです。ビクターにしてみればアメリカ進出が本格化するに連れセールスが後退していったことが気がかりだったのでしょう。あの連続ミリオンの夢を もう一度見たかったのかも知れません。でも、日本ではその頃、次の時代をリードする松田聖子、田原俊彦などが続々とデビューし、帰国後PINKLADYの 入る隙間は全くといっていいほどなくなっていたのです。あれほどピンク・レディーを好きだった子供たちにしても日本のテレビに出なくなった二人に今更見向 きもしなくなってい ました。子供たちの目は確実に次の時代を担うスターへと向けられていたのです。こんな残酷なことってあるでしょうか?
僕は帰国後今までより更にエレガントに変身した二人を見て、ますますファンになっていったのですが、一般大衆の反応は冷たかった記憶があります。

一方アメリカ側からすれば、デビュー曲のTOP40入りそしてNBCでのレギュラー番組。とメジャーになった二人の帰国を本当に残念に思ったに違いありま せん。
ケイさんの自叙伝にも掲載していましたが、NBCとは実に7年間の契約があったそうです。・・・ということは、このままいけば更にビッグなチャンスがある かも・・・・誰もがそう思ったでしょう。誰でも簡単には出来ないアメリカでのスターの座、それが彼女たちには保障されていたのです。それを蹴ってまでの帰 国。もったいない・・そう思ったでしょう。
でも、これでいいのです。これで。彼女たちが築き上げた栄光の道のりはこれから先もっともっと解明されていくでしょうし、ここまででもPINKLADYと いう偉大な存在は充分証明されます。
ただ、アメリカでのYou Keep Me Hungin' Onのシングル発売はして欲しかったですねえ。(以前当BBSで流行り?ましたね)
そして、彼女たちの日本での20枚目のシングル「リメンバー(フェーム)」実はこの曲、原曲はアイリーンキャラが歌いましたが、本当はPINKLADYの アメリカでのシングル予定の曲だったのです。しかし残念なことに帰国してしまったため、その頃の新人アイリーンを発掘して歌わせたそうなのです。もし、帰 国していなかったら逆輸入でPINKLADY大ヒット・・だったかもしれませんでしたねえ。残念(あ〜悔やまれる。でも、ここは前向きなSTEPといこう じゃあ〜りませんか!)



当時の雑誌掲載より
このアメリカ関連記事は第 四章にも掲載

NBCトップへ
NBC-TV   PINKLADY-SHOWの全容ご堪能下さい


PINKLADY とJEFF 中央、後がふたりのよきサポーター
JEFF ALTMANであ る。(注:犬じゃありませんよ 笑)




こういう衣装 のセンスはアメリカならではですね


日本での ヒット曲の披露にはいつになく観客も興奮気味




豪華なゲス ト陣もこの番組の凄さを物語っている


こんな姿。 アメリカ人のみた日本人のイメージなんでしょうか?

モンスター はアメリカではメカチックに捉えられた





以上、お楽しみいただけましたか?

 


PINKLADY MIE&KEIというナレーションに78年後楽園での ショーの模様が流れ華々しくスタートが切られたアメリカでのレギュラー番組PINKLADY SHOW

メイン司会のジェフアルトマンが最初彼女たちのことを紹介。

華々しく登場のミーとケイをあたたかい拍手が迎える。日本の誇るスーパースター遂に登場!といった感じであろうか?



OPNINGでは必ず1曲披露して最初のトークへと番組は進行する。ミーとケイの英語の絶妙な掛け合いは今VTRを見てもほんとに面白い。ミーがボケてケ イが 突っ込む。このパターンでアメリカでのレギュラー番組は進んでいく。
全体を通して大人が楽しめるブラックジョーク満載のバラエティ番組。日本では多忙なスケジュールの中、コントらしいコントもあまりみたことがなかったが、 いきなりアメリカでのレギュラー番組では本当に面白いやりとりを見せてくれる。僕が一番インパクト大なのはボケるジェフに対してケイの低音で発する鋭い 突っ込みワンダフォーである。アメリカンナイズされたこのワンダフォーは今この文章を書きながらも笑えてくるほど僕の坪に、はまりっぱなしの一言である。 (笑)



当時アメリカではこのようにバラエティの中にエンターテイメント的なショーを交える番組があったが、日本においては歌番組は歌番組。バラエティはバラエ ティというような区切りがあった。口パクも80年当時アメリカではよくあったことだが、日本では常に生歌が主流であった。
今現在うたばんやHEY!HEY!HEY!などのバラエティ的であるにも関わらず、ある意味まじめに歌を聴かせる番組のもとはアメリカのショービジネス界 からきたものなのではないか なあと思うのである。時代が10年違うのだ。そんな中日本で受けない形のPINKLADYはアメリカで受けいられた。この事実見逃してはならない事実 である。

PINKLADYSHOWのOPENINGではブギーワンダーランド、キープミーハンギンオンなど歌っていたが彼女たちのヒット曲キスインザダークは1度 も歌っていない。これには理由があって、彼女たちはこの番組を作るとき自分たちの尊敬するアーティストの曲しか歌わないという気持ちがあったという。それ は自分たちが目指すアーティストそしてそのアーティストたちに感謝の意味を込めて・・というなんとも思慮深い尊敬の念があったのだ。
しかし、そんな中で日 本でのヒット曲UFOとモンスターを歌ったときには客席の人たちはいつになく興奮して、ノリがよかった。これにも理由があって、当時アメリカの PINKLADYファンにとって、もともとの日本でのヒット曲など聴いたことがなかったからである。やはり、いくらビルボードでTOP40入りしたからと いってもそれはデビューシングルKISS IN THE DARKであり、日本のシングル盤などアメリカでそう易々と手に入らなかったからである。
PINKLADYのアメリカでのさりげないファンサービスはこんなところからも伺えるのである。

このアメリカでのレギュラー番組はリハーサルに4日そしてその後本番といったサイクルで作られていったが、最初、出来た台本からど んどんどんどん内容やセリフがチェンジしていくことで当初1センチほどの台本が本番前には5センチほどになるものだったそうで、そのセリフを全部覚 えて、(全て英語)それに英語の曲5曲を覚え なければならず、かなりの集中力と精神力を要した。このことはケイさんの自叙伝にも書いているが、84年の再結成時ロスで撮影した特番のなかでもミーとケ イが思い出話として語っていた。

しかし、このことは、どれだけ大変なことかということはあまりピンとこないのが、事実である。なにしろ、セリフから曲まで全て英語でそれをわずか4日のリ ハーサルで出来るわけが無いという人もいたし、曲にしても口パクじゃないかという人もいたが、そういってる人は自分を基準に考えているからであり、その人 はスターでなく凡人だからです。
口パクにしてもあのUFOもモンスターも番組の中では口パクだったし、他の英語の曲もオープニングは口パクだが、後半はどうだかわからない。 OPENINGの口パクも確実にあっているのだからしっかり歌詞は覚えていただろうと思う。(ゲスト歌手も口パク?だったように思います)
「批判は簡単」うちの親父の口癖であった。

再三書くが、認めるということは最も難しいのである。

全6本を通して感じることは後半になればなるほど二人の場慣れを一番感じる。
第1回目はセリフも出番(コントの)も少ないが、回を追うごとに露出が多くなる。
セリフも多くなりよくいわれるアメリカ的なフィーリングを掴んだトークが繰り返される。この辺り、二人のセンスが非常に面白い。

キュートでセクシーな日本人デュオPINKLADYをここまで買ってくれたアメリカショービジネス界の面々の先見の目が確かなことの裏づけは、この PINKLADY SHOWのヒットにより、実証されたのではないだろうか。

今尚、確実なファンを捉えて離さないPINKLADYの魅力は全盛期のミリオンヒットだけではなく、このアメリカ修行の成果が最も大きいのだと考えます。
今も多くの人に夢を与え続けることが出来るPINKLADYはやはり、不世出のビッグブランドだと断言できるのです。



ミーさんのかなり前のコメントです。「PINKLADYの凄さってもっと もっと時が経って分っていただけたら・・・分っていくような気がします」





最後にピンク・レディーのアメリカのページをここに別枠でつくった本当の意味は日本で売れてなければ・・というより、日本で落ち目になったら何をしてもマ イナスの要素しか受け入れられない。
このページ冒頭のラスベガス公演の成功はピンク・レディーが日本で大ブレイク中だったため日本でも絶賛された。しかし、徐々に日本での人気が後退し始めて くるにつれ、反比例するかのようにマスコミはPINKLADYを叩き付けた。(79年の秋以降のことである。ベストテン入りが途切れてからである)ただ、 それだけのことである。それが、人の世によく生じる「誤解」というものである。解散時もほんとに落ち目でラスト後楽園でのショーが象徴するように、かつて 同じ時代に歌謡界で活躍した、キャンディーズや山口百恵のように有終の美とは程遠い終わり方だっただけに今の今まで封印されてきた事実が山のようにあっ た。しかし、時が流れ、時代が変わり、世代が変われば、自然とその素顔は見えてくるものであり、当時の記憶が薄れていくことで、本来の事実は頭角を現す。 そう思っているのだ。あの無念を払いたい。そう思ったファンは全国にどれだけいるだろうか?そんな想いは私も同じである。当時を知らない若い世代の方たち が、このアメリカでのPINKLADYの事実を率直に受け止め、語りついでいただけたら、私としてもこのページをつくった甲斐があったというものだ。「誤 解」はいずれ解ける。そういう想いがこのページを起こした最大の理由である。
どうぞ、日本が誇る世界級のエンターテイメントを語りついでいただきたいと切に願ってペンを置きます。 
















以上ピンク・レディーのアメリ カ進出関連のページはここまで、更に突っ込んでNBCでの番組のページはこちら
観客が以上に興奮していた、第3回目のオープニング
理由は日本でのオリジナルを歌ったからです。



ページメニューへもどる

inserted by FC2 system