左のマンガにも載っているが「ピンク・レディーか。・・・ ふむいい な。」と。 この人物は実はマンガではウイリアム・ガーナー氏となっているが、自叙伝ではポール・ドゥルー氏となっている。実際にはケイさんの自叙伝が正解だろうが、 どちらにしても、アメリカ側からの要請でのデビューというのは変わらない。実際、各メディアでは未だにピンク・レディーは大金を持ってデビューさせても らっ たと報じられているが、これは全くのデタラメであり、あくまでも、ア メリカのレコード会社にスカウトされたというのが本当のところなのだ。 子供だましの歌を歌い、たかだかアイドルがアメリカ側からスカウト?と未だにメディアの方々はピンク・レディーを低く見ている。だから今でもモー娘、お ニャン子ら一大ムーブメントを起こしたアイドルと同系列でくくられているのだと思う。ブームだけに視点をおけばそういう面もあるかもしれないが、やはりこ こはファンとして全く違うものなのだと強く主張したい。あくまでもステージシンガーなのだピンク・レディーは。 実力というものが今もなおピンク・レディーをやれる理由なのだから・・・。 さて、デビューの話だが、最初のデビューシングルはこの時LoveContdownの予定であった。レコーディングは78年10月14日〜24日までの 10日間と決められた。わずか10日で英語の曲を、それも世界発売するための?普通考えたらムリですよねえ。 だいいち、アメリカ人が聞いて違和感ない英語なんて・・・。しかし、スケジュール多忙なふたりにはわずか10日の時間しか与えられなかったのだ、そして もっとも難関なのは言葉もそうだが、アメリカ人の納得するリズム感である。日本人が元来染み付いているのはもともと、盆踊りだの、日本舞踊などであり真似 事のリズムは踏めても、アメリカ人の納得するリズム感というのはかなり難しいと思う。単にリズムに乗るだけではダメなのだ。心から体からノッテいかなけれ ばアメリカ人は納得しない。言い換えれば、踊るのではなく、心底音楽の中に乗っていくという表現の方が妥当であろう。文化の違いを埋めることは並大抵の努 力では成しえない。それを10日で・・・。ふたりとも正直辛いレコーディングであったであろう。帰国後のコメントに「夕陽をみながら涙が落ちてきました。 正直日本に帰りたいとも想いました。」と。このマンガにもその辺りは詳しく載っている。でも、ふたりはプロとして最高の集中力でこの難関をも突破した。レ コーディング最終日OKのサインをもらったときには本当に感極まったことであろう。実際にはシングル発売はこの時のLoveContdownではなく Kiss in the darkに変更となったが、アルバムには ちゃんと収録している。まさにキュートなボーカルは後にアメリカでの活躍を予感させるほどの素晴らしい出来であった。発音もバッチリ、リズム感もバッチリ なアメリカンポップスであることはファンのみなさんであればご存知でしょう。レコーディングから帰国後の二人はまた更に自信をつけたようだった。コメント に「もう、絶対歌えな いと思っていた歌を歌えたということだけで、満足です。売れるか売れないかなんてどうでもいいです。でも、売れなきゃ事務所の人は困るかな(笑)」と。や は り、絶対ムリと思われることでも、がんばればできるものなんですね。人間の持つ可能性って素敵なものですねえ。実感! それから、冒頭で出てきました、ポール・ドゥルー氏は後にあのノーランズをプロデュースした方である。アメリカでのピンク・レディーと非常によく似ている のはそのせいだろうか?ピンク・レディーとノーランズ。以外なところでの、接点はあまりしられていない。 では、次回はアメリカ進出本格始動でありますよ。 お楽しみに〜 |
・・・ん・・ん・・よっこいしょっと・・・
ぷぁ〜 やっと出れた〜ハ〜イみなさん!こんにちは!ステップです! 実はね。このレイフギャレットショーは〜アメリカだけの放送じゃあなかったんだよ。 ヨーロッパなどの英語圏でも放送されたんだ〜。 へ〜そうだったんだあ(管理人)
うん。そうなんだ〜。だから・・・管理人さんのコラムも間違ってないんだけど〜当時のアメリカ人の目にはどう映ったんだろう?っていうのは〜ちょっと狭いかなあ。 なるほど〜(管理人)
アメリカ人だけでなく、ヨーロッパ諸国を始め、英語圏の人たちにはどう映ったんだろうっていった方がいいかもね。あっそうか〜ありがとうステップくん(管理人)
いえいえ。まあそんなとこかなでも、ホント詳しいねえ(管理人)
このデッカイ頭の中にイ〜ッパイ詰まってるからねえそっか〜それでそんなに頭でっかちなんだ〜笑(管理人)
頭でっかちーっ!!あっゴメンゴメンちょっと口悪かったね。ごめんよ〜(管理人)
まあいっか。このページ助けてやんなくちゃあ・・ね。管理人さんひとりじゃ・・・ムリだろうからねなんだとーっ!!(管理人)
ごめ〜ん言い過ぎたよ〜・・・でも・・・ん・違う?やられたらやりかえすよ〜・・・絶句(管理人)
ま、けんか両成敗か?(管理人)
・・・そうだね。けんかするほどなんとかとかいうしねそうだな(管理人)
うん。また来るね。ではみんなバハハ〜イまあ、また頼むよ(管理人) |
は〜いみなさん!では、ここで、僕の登場で
す。 ビルボードのことのついて管理人さんがあつ〜く語ってますが、その通りアメリカでは日本と違いロック、ソウル、カントリー、ダンスなどほ〜んとにたっくさ んのジャンル別のチャートがあるんだよ〜。その総合でのTOP40入りってミーちゃんケイちゃん以降だ〜れも実現させてないんだよ。僕もよ〜く考えなくて もすっご〜いとおもっちゃいました。世界のトップクラスしかチャートインできないTOP40そこに日本人として入ったんだからコレ凄いよね〜。 あのロッド・スチュワートさんなど日本で有名なアーティストすらビルボード初登場は60位〜70位くらいからだっていうから比較するとほんと凄いと思う よ。 管理人さんがピン ク・レディー第四 章LastPritenderのところでYMOの方々のコメント をのせてるのも納得だね。 でも、今回は僕がコメントするところ管理人さんに全部いわれちゃった。(くやしい〜!) へへ〜んどうだい!俺もちょっと勉強したのさっ!
くっそ〜今回は負けた〜(管理人) クックック・・・(嬉笑)
よ〜し次回はがんばるよー!じゃあまたね(管理人) 次はいよいよNBCだよお楽しみに〜
(管理人) |
過
去の日本人アーティストによるチャート記録 シングル総合チャート 1963年 1位 坂 本九「SUKIYAKI(上を向いて歩こ う)」4週連続 1979年 37位 ピンク・レディー「KISS IN THE DARK」 この赤い字のところが認知された楽曲ということになります! ここに辿り着く日本人アーティストがなかなか現れないのです ね。 1990年 54位 松田聖子&ドニー・ウォールバーグ「RightCombination」 1963年 58位 坂本九「China Nights(支那の夜)」 1980年 60位 YMO「Computer Games」R&Bチャート18位 1981年 81位 横倉裕(YUTAKA)「LoveLight」R&Bチャート61位 2000年 108位 di honda 「EL
PRESIDENTE」HotRapチャート34位、
ピンク・レディーと同じく日本のアイドルと呼ばれる松田聖子さんも個人でのチャートインはありません。いかに難しいかがわかりますね(今後、頑張っていた
だきたいです)HotR&B/HipHopチャート62位
坂本九さんのスキヤキはアメリカ人のもっとも好むジャズのコード進行と似ていたそうです。(納得) シングルセールスチャート Hot100 Singles Sales 1981年 81位 横倉裕「Love Light」R&Bチャート61位 2000年 108位 dj honda「EL PRESIDENTE」 2001年 39位 倖田來未「Trust Your Love」ダンスチャート1位 アルバム総合チャート 1963年 14位 坂本九『Sukiyaki and Other Japanese Hits』 1986年 64位 ラウドネス「LIGHTNING STRIKES」(初登場記録) 1985年 74位 ラウドネス「THUNDER IN THE EAST」 2004年 160位 Utada「EXODUS」 その他部門別 1972年 富田勲 「月の光」クラシカルチャート1位 1990年 オルケスタ・デ・ラ・ルス「DE LA LUZ」ラテンチャート11週連続1位 1990年 喜多郎 「古事記」New Age albumチャート8週連続1位 2001年 松居慶子「DEEP BLUE」コンテンポラリー・ジャズチャート1位 ダンスミュージック・クラブプレイチャート 2003年 15位 松田聖子 「Just For Tnight」 2004年 3位 Utada「Devil Inside」 2004年 9位 Ono(オノヨーコ)「Everyman...Everywoman...,」 UTADAさんはダンスチャートでは1位を獲得したそうですが、総合ではまだ難しいようですね。(UTADAさんも頑張って!) ダンス系ラジオ局オンエアチャート(対象ステーション9局) 2004年 22位 Utada「Devil Inside」 |
夢の国アメリカへ
世界のスターになるべく憧れて アメリカ進出を行った 日本のアーティストは他にも 八神純子さん、矢沢永吉さん、 Nokkoさん、 久保田利伸さん、ドリカム、 チャゲ&飛鳥、Winkの二組、 中森明菜さん、ジュディ・オングさん、 矢野顕子さん、倉木麻衣さんなどが いるんだけど、 誰もビルボードのTOP40はおろか 200以内にも入れなかったん だよ。 いかに難しくて いかにピンク・レディーが凄いかが分るよねえ。
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ピン
ク・レディーのアメリカでのアルバム「ピンク・レディー・インUSA」
の日本発売盤に福田一郎さんという方が載せているコメントを掲載いたします。 アメリカの業界に精通している方の文章はアメリカでのピンク・ レディーを正 当に評価するのに大切な一文だと思います。ファンの方々はもっていらっしゃるでしょうが、知らない方々にもっと知ってもらいたいという一念で掲載いたしま す。このことで何か不都合が生じる場合はご連絡下さい。早急に対応いたします。 ねえねえ管理人さん。 ん?なんだい
福田一郎さんてあのアメリカでさあ (管理人) グラミー賞のコメンテーターやってる人でしょう? うん。そうだよ。よく知ってるねえ
やっぱ
り!そうだよねえ。(管理人) 凄いねえでもその福田さんがピンク・レディーのこと書いてるな んて〜 そうだよねえ。グラミー賞といえば毎年行われてるアメ リカでもっとも権威のある音楽祭。 いろんなアーティストにインタビューしている方なんだ よ。 (管理人) そうだよ〜アメリカの音楽業界に最も精通している音楽 評論家なんだ。 (管理人) そうだね〜みんなにもっと知ってもらいたいからね (管理人) ちなみにこのライナーの筆者福田一郎氏は残念なことに 2003年9月4日に肝不全のため、他界。78歳でした。 あのモーニング娘の産みの親でもあった。 亡くなったんだあ。福田さん。
そうなんだよ。残念だけどね
(管理人) でも、管理人さんが掲載してあげれてよかったね そう?そうならいいけどね。
今でも健在ならまた何かの形でライナー残していただけた かも知れないんだけどね (管理人) 管理人さんが頑張って載せていけばいいじゃん そうだね。みんなが知らないアメリカのピンク・レディーをこれからも載せていく
よ
頑張って!(管理人) うん。頑張るぞ〜!
(管理人) |