Pink Lady Original Number
このサイトで特にご紹介したいのはヒット曲以外でナイスでSexy
な名曲たちである。
洋楽テイスト満載の名曲集。ファン以外の方もとくとご覧あれ。
Pink
Lady
のSexyDynamite!な名曲たち
愛・GIRIGIRI掲載
うたかた
Strangers When We
Kissというのが、原曲のタイトルであるこの作品。PinkLadyのアメリカでのアルバム5トラック目に収録している曲である。
03〜05年にかけて復活したメモリアルコンサートでも多く歌われ
てきており新たにこの曲のファンになった方も多いはず。
洋楽ファンの方のみならずピンク・レディーに興味のない方も是非こ
の曲には耳を傾けていただきたい1曲である。
ヒット曲Kiss inthe
darkと比べてみると確かにKiss in the
darkの方がヒット性はあるが、聴けば聴くほどに年数が過ぎれば過ぎるほどこの曲の良さは分ってくる。日本語盤発売は80年の9月。そう、解散が正式に
報じられ
たあの頃である。世間はPinkLadyには全くと言っていいほど関心のなかった頃である。
そんな中にあってもPinkLadyは後年に残る名曲を残し続けて
きたのである。活動4年半の中でブームだったのは約2年ほどであった。残りはほとんど
PinkLadyとしての活動などみんなが知らなかったのである。
アメリカでのPinkLadyを手がけたマイケルロイドという方は
デビュー曲Kiss in the
darkにた〜くさんの仕掛けを使って見事TOP40入りを果たした。
この曲もそのマイケルの曲である。日本語に代えてシングル発売した
この「うたかた」は同じ曲でも全く違う個性を持っていて、アレンジの基本コードなどは変
わらないが日本人の理解しやすい(歌謡曲的とでもいいましょうか)構成となっております。まずイントロが微妙に違う。原曲の方が細かい音使いだがうたかた
の方はもっと日本人に・・・というより当時の歌番組で主流だったバンド?じゃなくオーケストラで奏で安い音使いになっている。
歌に入る前のトランペットの音がそれを分りやすくしているのではな
いのでしょうか?原曲は少々ぼかしたイメージだが、うたかたの方はハッキリと耳に聴こえ
る・・そんな感じでしょうかね。一言でいえば、それが当時の日本とアメリカのセンスの差でしょうか。歌謡曲全盛時代に時代を先行するかのようなシングル曲
のリリースは逆に今だからこそ良さが理解できるのでしょう。
黄昏てモダン・ガール
この曲はアルバムSUSUPENSEに収録している曲ではあるがこ
れぞ!僕がもっともSexyDynamite!ではないか!と思う1曲である。
日本人が作っているが、かなりアメリカでのPinkLadyを意識
しているように思うのだが・・・。
イントロの感じがインパクト大であり、ミー、ケイそれぞれのソロか
ら始まるが、サビのEverybody call me just a modern
girl!はまさにSEXYでなおかつDYNAMITE!な1曲である。このイントロのパターン、後に小室哲哉氏がTRFの曲で使用しましたね。昔から
ディスコサウンドではよく聴きなれたパターンのように思います。シーナイーストンの「モダン・ガール」がモチーフになっているのでは?ないかと思います。
最初ぶっ飛ばして歌にはいるやいなやゆるやかベースでしっかり聞か
せ、サビのところから一気に攻め立てる。そんな印象をこの曲には持っています。
ピンク・レディーではなくPinkLadyに非常にマッチした名曲
です。アルバム自体もあまりメジャーでなくほとんどの方が印象にないかも知れませんが本
来なら05年ラストツアーで歌って欲しかった1曲でした。アメリカでの曲の中に混ぜても決して違和感のない曲のように思いますし、なんとなくステージで
歌っている姿が想像出来るのですが・・ハテみなさんはどうお考えでしょうか?
波乗りパイレーツはピンク・レディーがPinkLadyへの過渡期
にリリースされたシングルであり、最後のベスト10ヒットとなった曲である。
この曲が日本で発売された頃アメリカではKiss in the
darkがビルボードのTOP40入りを果たし、まさに「二束のわらじ」を履いた状態であった。
当然、日本でのシングル曲もアメリカを意識した曲がこれ以降多数リ
リースされることとなった。
この波乗りパイレーツはそんなアメリカを意識した第1弾シングル
だったのではないだろうか?
A面は聴いた通り日本受けする仕上がりである。軽快なテンポの中に
ピンク・レディー特有の”動き”を取り入れながらも微妙に変化をつけていた気がする。と
りあえずお約束の振り付けというのは健在でこの曲まで振り付け集といわれるものはあったが、根本的にビジュアルよりも楽曲重視がこの曲には感じられる。ピ
ンク・レディーファンのみならず、この曲の注目すべき点はあのビーチ・ボーイズとのジョイントにあることだ。
色んな音楽雑誌にも時折見かけるのが、このシングルB面に収められ
ているビーチ・ボーイズとのジョイントでアレンジ、コーラスを彼らが手がけている。ビー
チ・ボーイズといえば言わずとしれた大ヒットナンバー「サーフィンU.S.A」を筆頭にウエストコーストサウンドの王道を行くグループであることは誰もが
知っていることであろうが、そのイメージと非常に近いところでこの「波乗りパイレーツ」はある。
都倉氏のアレンジと違いイメージはやはりアメリカ西海岸かハワイと
いったところだろうか?イントロはドラムスの響きが大きな波を想像させるイメージを持
ち、ギターとベースのからみが非常に面白く聞こえてくる。バックコーラスは一番最後のサビの繰り返しで大きな印象を与えたままF.O.となる。
同じ曲でもまったく違う色を放つ。往年のピンクファンにはA面がピ
ンク・レディーらしさを感じるところであろうが、それ以外のファンにはB面の音作りには
興味があるかも知れない。日本のアーティストでも海外の有名アーティストとジョイントで作品を残している方も多いが一番最初にそこに着眼してリリースした
のはこの曲かも知れない。日本でのムーブメント重視のイメージが邪魔をしてこの作品を知らない(B面)方も多いがこの辺りがコアなファンにはたまらないと
ころであろう。
YMOといえばいまだにコアなファンは多いがそんな彼らとのジョイ
ント企画がこのLastPretenderである。
デビュー曲からの流れの中でテクノポップ最先端を行ったのがこの曲
であり、詞の内容はピンク・レディーの楽しい
道に記載しているのであえて触
れないが、楽曲重視のPinkLadyの中にはこんな名曲が潜んでいるのだ。YMOがバックを務めている為、違和感を感じる方も多いがアメリカでの
PinkLadyやムーブメントの中のピンク・レディーとは全く違う世界であり、ちょっと聴いてもなじめない印象はある。・・が、この曲を残したことによ
りPinkLadyとしての価値は更に向上するように思うのである。ボーカルレスでも充分に通用するサウンドに敢えてPinkLadyがボーカルを入れた
ことによりシリアスなイメージが湧いてくる。解散前当初はこれがラストシングルになる予定だったらしいが、本当のところは分らない。コアなファンのみなら
ず、YMOのファンそして他の洋楽ファンにも是非一聴いただきたいのだ。共にアメリカでの活動からこの曲に至るまでさまざまな報道により日本を騒がせてき
たスーパースターの共演はピンク・レディーとして活動の最後に大きなはなむけであったのである。
PinkLadyの残した貴重な作品の中にこの曲はあると思う。
マンデー・モナリザ・クラブ・・・言わずと知れた隠れ名曲No.1
と称される1曲である。
アメリカ進出が本格化される中、日本でも同じ印象の楽曲を・・ということでリ
リースされたのだが、もう子供以外はピンク・レディーに見向きもしなかった頃
であり、子供にこんな難しい曲理解出来るはずもなく初めてベスト10入りを果たせなかった曲である。
が、しかしこの曲の人気は後になればなるほど高まっていった。
アメリカで発売されたKISS IN THE
DARKはあのビルボードでTOP40入りという快挙を成し遂げた。こちら日本でもマイケルに対抗!!っといった感じで都倉先生が最高のディスコサウンド
をピンク・レディーに送ったとされる。
この曲こそピンク・レディーのふたりが歌いたくて歌いたくてしょうがなかったタ
イプの曲であり、本来の魅力はこの曲だからこそ・・という想いはたいへん多
く持っている。当時アラベスクなど洋楽のアーティストの人気も高く日本ではまだ、歌謡曲が全盛時代、こんなディスコサウンドは外人が歌う歌という程度の認
識しかなく、当然のごとくピンク・レディーの人気は低迷していくこととなったが、あの時代(1979年)に日本人がこのような曲を残したこと自体素晴らし
いと思うがみなさんはどう思われますでしょうか?
もし、ピンク・レディーがこの曲を残す前に解散していたら・・・いいえ、コレ以
降の作品を残す前に解散していたら・・・僕はHPを起こすほどピンク・レ
ディーが好きではなかったかも知れません。たしかにミリオンヒットは素晴らしい楽曲の数々だと思いますし、売れたこと自体名曲だらけだとは思いますが、後
期のピンク・レディーは日本が誇るエンターテイナーだったと思います。
そのきっかけはすべてこの曲を世に送り出したことに始まったのだと思います。
マンデー・モナリザ・クラブこの曲の12インチも実は存在するのだということは
かなり後になって知りましたが、メジャー発売して欲しいなあと切に思うので
す。その12インチについてはPink
Lady RAREのコーナーをご覧下さい。
リメンバー(フェーム) このジャケット写真が一番好きだというファンは多
い。
今までのどのジャケット写真より、自然体であとわずかで解散してしまうという時
期のものだが、それまでのピンク・レディーには感じられなかった作成されて
いない類のものである。
原曲はアイリーン・キャラが歌い大ヒットしたが、実はこれピンク・レディーのア
メリカでのシングル予定の曲だったのです。
でも、急遽帰国してしまったため、新人歌手のアイリーンに歌わせたそうです。
カバーした時期からして原曲とさほど変わらない時期のリリースだったことからも
お分かりになることでしょう。
これに似たようなことは他にもありました。ダイアナ・ロス&スプリームスの最初
のヒット曲「BabyLove」も当初別の歌手が歌うはずだったのが、そち
らがキャンセルしてしまったためスプリームスにお鉢が回ってきたそうです。これがきっかっけで1時代を築くスーパースターへと変貌を遂げたのでした。
ピンク・レディーの場合これの逆パターンでありました。運なんてどこでどうなる
かわかりませんね。このフェームのヒットでアイリーン・キャラは世界のスー
パースターとなったのですから・・・
さて、うたかたの次のシングルではありますが、いわゆる解散前のポイントとな
る曲にこれが選ばれたのも何か因縁を感じます。
この曲に日本語詞をつけたのはなかにし礼氏であるが、原曲のイメージを損なうこ
となく青春の日々を過ごしたピンク・レディーの今までを振り返るような詩が
胸を打つ。ソウルフルにユニゾンで「やるだけやった」と歌うさまは一時代を築いたものにだけ与えられる栄誉のように感じる。
以前はあまりカバーということであまり好きな曲ではありませんでしたが、今聴く
と実に説得力のある曲のように感じます。
愛・GIRIGIRI
ピンク・レディーのシングル曲の中でも珍しく、洋楽的でもなくかといって過去の
作品のようにキャラクター的でもない。
ごくごく普通の歌謡曲であります。
一般の人がこの曲をピンク・レディーが歌っていたとは認知しにくい曲であります。
しかし、これがまた非常にいい曲でありまして、当時はテレビで1回しか歌っていなかったのですが、(アメリカへ長期渡米中だったので)時を経て04年の復
活公演「モンスター・パニック」で披露して以来その人気も急上昇!といった感がありました。
解散から何年もたってやっとこの曲も日の目をみた気がしました。
僕個人としましてもマンデー・モナリザ・クラブあたりのディスコ・チューンとは違い派手さがない分、時を感じさせない優良楽曲であると思います。
しかし、ピンク・レディーほど色んなタイプの楽曲をこなせるアイドル(あえてアイドルとさせていただきます)も少なかろうと思います。
ブームの時のファンタジックな曲PINKLADYとしての洋楽絡みの曲そしてやはり日本の歌手としての歌謡曲的楽曲。
すべてがピンク・レディーでPINKLADYではありますが、路線的にファンタジーの次は洋楽絡みが多かった中、少しでも歌謡曲的な曲をもう少し欲しかっ
たようにも思います。
色んな観点からみても全てが素晴らしいピンク・レディーではありますがそこはやはり原点である日本人としての日本のデュオであるところも大切な分野であっ
たと思います。
歌謡曲歌手としてのピンク・レディーも素敵でしたからね。
日本人が分るピンク・レディーとしての楽曲、それが後のシングル「うたかた」でも少し覗けた気がしました(原曲はディスコ・サウンドですけどね)
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