Pink Lady in DISCO

ピンク・レディーはディスコサウンドでアメリカ進出し、成功した。
KISS IN THE DARK
この曲は当時のディスコサウンドのポイントを押さえての成功曲だったのだ。
歌って踊るというスタイルは日本を越えて遥かアメリカまでも飛び立った。
デビュー当時から彼女たちはディスコサウンドといえる黒っぽい曲を数多く歌ってきた。
当時、小学生だった僕にどれが黒っぽくてかっこいいのか?なんてこと分るはずもないのだが、数々のライブナンバーなどは当時から好きだったのでジャンルな どにとらわれず、いい音というのは子供までも納得するものだったのだ。
77年から特に78年79年はディスコサウンドが大流行の時期でこの時多数排出されたディスコサウンドをご紹介しながらピンクとディスコの関係を考えてみ ようと思う。




まずはこの方「ドナ・サマー」の曲
ホット・スタッフ、ヘブン・ノウズ、マッカーサー・パーク、そしてラストダンス
以上の曲をピンク・レディーはアルバム「We Are Sexy」でカバー。そして以上の曲はアメリカでのレギュラー番組でも披露している。
いずれも大ヒットナンバーであるが、このソウルフルな歌をピンク・レディーは見事カバーしている。
中でもホットスタッフのアレンジはピンクの方が弱冠リズムやテンポが速く軽快な感じです。
ラストダンスはピンク・レディーがコンサートでも最後に歌っていた曲でアレンジももっと大きくストリングスを効かせています。
本当のラストってな感じでしょうか?
ドナ・サマーのラストダンスより約倍の長さのラストダンスがピンクのラストダンスですから。
しかし、当然ですがホンマモンのラストダンスやホットスタッフはさすがです・・当たり前ですが、ボーカルのパワーというものが凄い!
でもその凄い曲たちをカバーしたピンク・レディーも凄いと思います。
みんな凄い!!!の一言ですかね?


ご存知、PinkLadyといえば、一番強い影響はこの2組
ドナ・サマーとアース・ウィンド&ファイヤー
 僕が個人的に一番好きなのはやっぱりアースの方かなあ
大ヒット曲「ブギー・ワンダー・ランド」はエモーションズとのジョイントでしたが、この曲こそ70’ディスコサウンドの最高峰のように感じます。
(僕の携帯の着うたはコレです・・グフフ?)



ブギー・ワンダー・ランドといえば、(このページはミュージック・ワンダーランド ダハッ)PinkLadyがNBCのレギュラー番組で一番最初に歌った 曲でありまして、それだけアメリカでは認知を受けたヒット曲だったという証でもあり、PinkLadyの本当の魅力はこの曲の持つ雰囲気そのものなのだと 改めて思います。
実のところピンク・レディーから洋楽へ・・という路線を辿っていますので、原曲は常に後になって聴いています。

・・がやはりというかさすがというか原曲のパワーはすごい!
バックのサウンドにしても色んな音が混ざり合って心地いい
ディスコサウンドに仕上がっています。

まず、イントロ。最初のピアノ音でもう駄目・・踊りたくなります。
僕的にはこの曲のジャッジャッジャッジャッジャッ!のリズムの刻みと途中のタンタンタンドンのまるで日本の太鼓のリズムみたいなのが
なんとも「いってしまう(笑)」パターンなのです。
この曲中ず〜っとあのNBCでの初っ端OPENINGが思い起こされます。(必ずPINKLADYと結びついてしまう ダハッ)

電気楽器???なんかではなく生音の良さそれを感じますね〜

これらの曲を探るとPinkLadyアメリカでの成功が音作りという観点から見て、理解が出来るような気がします。

そして、裸踊り、盆踊りとにかく踊ることも大好きなSTEP-WONDER TE2としましては、ディスコサウンドの持つもうひとつの要素”ダンシング”についてもここで載 せて行きたいと思います。

今後の展開をお楽しみに〜

マンデー・モナリザ・クラブについて


お久しぶりです。ピンクレディをディス コ・アーティストとしての観念から研究しているたかはしです。
ちょっと面白い事を知ったので、お伝えいたします。
マンモナをプロデュースしていたのがrobby adcock、アレンジはcherlie merriamでしたが、このコンビが前々からひっかかっておりました。

するとなんとマンモナとほぼ同時期に「midnight rhythm」というユニットで「midnight rhythm」というアルバムから「workin&slavin/i need love」を筆頭にアルバム全曲がプレイされ、ビルボードディスコチャートで8位になるヒットを飛ばしていたディスコ・プロデューサーである事がわかりま した。(その時にトップ10に入る事は並大抵では不可能な時期です。)

しかもアトランティック・レコードなんてメジャーなところから発売しております。。(12インチでリミックスを手がけているのは、日本につなぎの技術を紹 介したトップDJ・リッチーリベラ)
確かにサウンドもマンモナに近いものがあります。
むしろディスコレベルで考えるとマイケル・ロイドなんかよりも凄いかもしれません。

さらに彼らは他にもカサブランカ・レコードでも別ユニットを手がけており、
新進気鋭のディスコ・プロデューサーだったようです。
(が、のちのディスコ撲滅運動(全米のポップ・ラジオ局がディスコサウンド、ディスコあーてィストの作品のプレイを拒否する運動)で消された様子。残念な がらピンクレディもディスコ・グループでしたので残念ながら同じ扱いをされてしまったようです。なのでセカンドシングルに火がつかなかったのでしょう)
すみませ ん。よくよく調べたらrobby adcockさん、リキッド・ゴールド(バラに乾杯、ドント・パニック、今宵ダンスで)のメンバーのjoe longと組んでこの後大成功収めていますね。
シルベスター、パトリック・カウリー(メガトロン・マン、ドゥー・ヤ・ワ ナ・ファンク)、エドウィン・スター、ドラキュラ都に行く(サントラ)などなど。
ディスコレベルではヒットメイカーですね。

さすがピンクさん。凄い!

以上、先日BBSに投稿のあったたかはしさんの記事です。(2006.08.22.16:23掲載)

ピンク・レディーのディスコサウンドといえば・・・やはりまずはこの曲でしょう。
マンデー・モナリザ・クラブ

上に書かれている内容をみて理解できた方はかなりのディスコ通ですね。
僕は誰が誰なのか分らない状態です。(汗)
ただ、ここでたかはしさんが書いていただいていることは非常に重要なことのように思います。
ピンク・レディーの全部のシングルの中でも特に人気の高い楽曲が「マンデー・モナリザ・クラブ」ということは周知の事実であります。
よってその作品自体の出来栄えも素晴らしいものであります。

ピンク・レディーが本格的にディスコサウンドを取り入れたのがこの作品。
アレンジがそれほどのトッププロデューサーだということは日本のファンたちの中でどれほど知っていることなのでしょうか?
ただ、音を聴いてそれまでの都倉サウンドと一線を画する音だということは容易に理解できます。
バックの音の厚みやサウンド自体に今までの面白いストリングスなどは一切使われていません。
やはり本場の音を・・・という試みが感じられます。

先日ネット上でこのマンデー・モナリザ・クラブをネット上で拝見しました。
まったくかっこよすぎて・・・鼻血ブーとなりそうでした。(笑)

ダンス自体の実力は今の方がかなりレベルアップしていますが、何故?これが当時受け入れられなかったのか?
今でも疑問に思ってしまうほど、当時の山口百恵、沢田研二らから後れをとってしまうこと・・・・が不思議でしょうがなかった。
スターの持つオーラというものがこの曲を歌い踊るピンク・レディーには感じられたのにも関わらず・・・

ま、その辺りの愚痴は今までも書いてきたんだから、よしとして・・。

ピンク・レディーのディスコサウンドとしてかなり上質の「マンデー・モナリザ・クラブ」12インチバージョンも含めて改めて聴きなおして見たい。そんな気 分です。

2006.8.21記

この記事掲載の後、この記事を投稿いただいたたかはしさんから記事の差し替えの要望がありましたので、こちらを掲載いたします。
ちなみにこちらの Blogか らの引用です。

ピンク・レディです。「ペッパー警部」「ウォンテッド(指名手配)」 「UFO」などの特大ヒットで70年代の日本を一世風靡したモンスター・デュオ。
1979年にはMICHAEL LLOYDプロデュースの「KISS IN THE DARK」(全米ポップチャート最高37位)(正確には全米総合チャートでの37位です。)
というアップ・テンポのディスコ・ナンバーでアメリカ進出を果たし、全米で 大ヒットした事から海外でも 「FEMALE JAPANESE DISCO DUO」としても知られています。

この「MONDAY MONA LIZA CLUB」はほぼ同時期に日本でのみ発売されたナンバーで、当時はそれほどヒットせずに終わりましたが(オリコン最高14位)、根強いファンの間では「ピ ンク・レディーの最高傑作」として、未だに人気のある曲です。
サウンドは「KISS IN THE DARK」と同路線のアップテンポで、さらにパワフルなディスコ・ナンバーで、日本人によるディスコ・サウンドでは最高峰といえるものです。

どれだけ素晴らしいかは、沢山のホーム・ページで語られていますので、ここ ではこれまで殆ど触れられてこなかった事を書きたいと思います。

まずこの曲は、ソング・ライティングに関しては、日本の阿久悠氏と都倉俊一 氏が行っておりますが、それ以外のプロデュース、アレンジ、レコーディング、 ミックス・ダウンはすべてアメリカのスタッフで行われています。

プロデュースはROBBY ADCOCK、アレンジはCHARLIE MERRIAM。このコンビは1978年から1980年にかけて「MIDNIGHT RHYTHM」(1978 Atrantic)や「Hallelujah 2000」(1978 Casablanca)などのプロジェクトを成功させ、全米ディスコ・チャートのトップ10内に送り込んでいた新進気鋭のヒット・メイカー。
他にHodges,James & Smith のメンバーだったPat Hodgesやベテラン・ソウル・シンガーSydney Barnesのプロデュース、日本では映画「ドラキュラ・都に行く(Love At First Bite)」(1979)のサウンド・トラックが一番知られているかと思いますが、これも彼らが手がけていました。

レコーディングも彼らのプロジェクトで起用していたスタジオ・ミュージシャ ンをそのまま使っている為、彼らの持ち味であるパワフルなサウンドが 「MONDAY MONA LIZA CLUB」にも表れています。

もしもアメリカでも発売されていたなら、ディスコ・チャートでもかなり良い アクションを見せたのではないかと思います。
それだけ当時のディスコ・シーンにフィットしたヒット性のある楽曲だと言え ます。

日本では7分36秒に及ぶロング・バージョンが納められているディスコ・プ ロモーション用の12インチ・シングルが存在しており、かなりのレア・アイテム となっています。最近、ようやくCD化されましたので一度聴いて頂く事をお勧めします。

PINK LADY・・ミー(本名:根本美鶴代 1958/3/9 静岡市出身)、ケイ(本名:増田啓子 1957/9/2 静岡市出身)の2人組。1976年「ペッパー警部」でデビュー。以後「渚のシンドバッド」「ウォンテッド(指名手配)」「UFO」(1977)などの大 ヒットで一世を風靡。さらにアメリカでも「KISS IN THE DARK」が大ヒットし、その名が知られるようになる。1981年解散。

そしてこの曲Mandy Monarisa Clubの記事に掲載していたCharlie Merriam氏はピンク・レディー最後のベストアルバム(通称銀箱)の2枚目に収録している「ヤング・ラブ」のアレンジも手掛けていました。
本来であればシングルもしくはシングルB面として起用の予定だったのではないでしょうか?
ピンク・タイフーンのB面でもよかったかもね。

2006.9.9記































































































































































































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