どちらがセクシー
う〜んどっちもだな〜

     

今でもカラオケの定番曲
必ず聞かれる曲ですよね


昭和の歌謡史においてこの2組は絶対に離せない強力な2大デュオであります。
昭和50年引退されたピーナッツに代わって翌51年彗星のごとく現れたピンク・レディー
今でも歌い継がれる名曲の数々は両グループとも健在ですよね。
そこでここではこの2組をこんなタイトルでくくってみました。
題してピンク・レディーとピーナッツな関係
ではスタート!

ピンク・レディーの先輩・・といっても事務所はあのキャンディーズと一緒なので、厳密にいえば、キャンディーズの先輩になるのだが、ここでは、あえてデュ オということで先輩ということにしよう。
ザ・ピーナッツが引退したのは昭和50年(1975)の春、ミーとケイがスタ誕でスカウトされ、デビューが決まったのはこの時から1年後のことであった。 世代交代という言葉があるがピーナッツの抜けた後、見事に埋めたのはピンク・レディーだといえるだろう。ピーナッツとは明らかにコンセプトは違うがアメリ カなど、海外でも活躍した日本人女性デュオといえばこの2組を除いていない。恋のフーガというヒット曲をご存知だろうか?この恋のフーガは英語詞にして海 外でも発売されたのだ。何年か前にこの英語盤をリミックスして発売された、なんとなくレトロの匂いのするカッコイイアレンジに仕上がっていてコレは絶品 だった。同じようにピンク・レディーもアメリカ進出する前昭和52年(1977)の暮れにペッパー警部とウォンテッドを英語詞にしてヨーロッパなどで発売 している。コレは後のリミックス集BLOOD NEWにリミックスして収められた。このように共通点を探せばキリがないが、ここで!・・・みんな知ってる かなあ?知ってるかもね。実はピンク・レディーに欠かせない方といえばどなたでしょう?・・・・・・・・わかりますか?そうです。振付師の土居甫先生です よね。実はピーナッツ後期の振り付けは全て土居先生が手がけていたんです。土居先生いわく「ピーナッツは踊りの覚えが早く、動きも流れるように上品なんだ よねえ。ピンクの方は全くコンセプトが違って画面からはみ出すダイナミックなものをという趣旨で作ったからまるで違うんだよ」というようにね。確実に時代 の移り変わりの中でピンク・レディーはピーナッツからしっかりとバトンをもらったように思う。海外の曲のカバーなどを含め、タイプの違う2組の女性デュオ は世代別にそれぞれの夢を振りまいてきた。そんな2組に改めて敬意を表すと同時にジャパニーズポップスの王道を行ったピ−ナッツとピンク・レディーの偉大 なる功績はこれからも受け継がれていくことであろう。


どちらも故土居甫先生のレッスンを受けていた
 

  
シングルジャケットでよく似たものがありました。
ピンク・レディーのマンデー・モナリザ・クラブとピーナッツの哀愁のヴァレンティーノ
ジャケット全体の色合いといいドレスのデザインといい
雰囲気はまったく似ているではありませんか。
ピンク・レディーはこのマンデーモナリザクラブで今までの路線から一転しましたからね

  

そして、これはよく似ているわけではありませんが、それぞれの現役最後のシングルジャケットです。
ピーナッツは75年の春、ピンク・レディーは81年の春でした。
それぞれ、ひとつの時代に終わりを告げるとき、ピーナッツは”バイバイブギウギまたね〜”とサラッと終わりを告げ、ピンク・レディーは讃歌を高らかと歌い あげました。

ピンク・レディーは03年に復活全国縦断コンサートツアーを繰り広げ、ピーナッツの曲は今でも色んなアーティストを通じて聴かれます。

そして、それぞれにそれぞれの活動を見守ってきた相馬氏(ピンク・レディー)宮川先生(ピーナッツのヒット曲を多く手掛けた)は他界。

色んな意味で転換期を迎えたような気がします。

そんな中ピーナッツからピンク・レディーへと日本にはこんな素晴らしいデュオが存在したことを改めて嬉しくそして誇りに想うのであります。


モンスターUFO透明人間とモスラ



ピンク・レディーの大ヒット曲として知られるモンスター、UFO、透明人間は
ピーナッツの「モスラ」のイメージとダブってしまう。
ピーナッツはエンターテインメントといわれるものにはほとんど出演しており、バラエティから映画など本当に素晴らしい才能を発揮してきた。

ピーナッツは歌では色んなジャンルのものを歌ってきており、モスラの歌もシングル曲としてでなくあくまでも存在はサブであった。

それとは違いピンク・レディーはピーナッツが歌ったサブの世界を”主”として行ったのだ。それはピーナッツの世界観とは違い見せる(魅せる)歌に徹底した ことがピンク・レディーだったのだから。

特にモンスターはピーナッツのモスラと同じように思う。
モンスターこのわたしのかわいいひと
モンスター目をさますのよ

このあたり、やっぱり♪モスラ〜やっ!
と印象が同じではないか?

後年になって美女と野獣というのが流行ったが、
ピーナッツとピンク・レディーのコレもこの美女と野獣のようである。

両方に言えることはこれが一人の女の子ではなく、二人組というところがいいのだ。
三人だとチト多い。
二人が丁度いい具合なのだと思う。

男なんてふたりの女の子から言葉をかけられたら
いい気分になりますよね〜(両手に花なんて言葉もありますからね)
三人だと・・・一度に相手できるかなあとか(デヘッ)思ったりするし・・・ってちょっと意味が違う?(笑)失礼!!

なにはともあれ、こんな楽しい世界観もありそして歌って踊ってかっこいいエンタショーもあるし・・ってことが今でも愛されている証拠なのでしょう。

 

DIE PEANUTSとPink Lady in U.S.A-海外での活躍-



ザ・ピーナッツとピンク・レディー共通している点でもっとも評価すべき点は日本国内にとどまらず、海外でも実績を残していること。
ピーナッツはドイツなどヨーロッパ諸国で、ピンク・レディーはアメリカでそれぞれ評価されそして記録に残る仕事をこなしてきた。

そんな彼女らの”冒険”についてちょっと触れてみます。

ピーナッツの残してきた実績はもの凄いものだったのです。
チャート1位の曲を含みほとんどの曲がチャート上位にランクされたそうです。
現在日本ではその辺りあまりメジャーに出てきませんが、僕がピーナッツの海外での活躍に興味を持ったのもすべてPINK LADYのビルーボードチャート インがきっかけでした。
 
ピンク・レディーの場合、今現在でも誰も実現させていない、ビルボードのTOP40入りという快挙を 行ったわけですからこれもかなり凄いことなのです。
おまけに賛否両論あります、あのNBCでのピンク・レディーショーの出演
 
 
パターンは少々違いますが、今の時代これほどの実績を残すことは少々困難なのではないでしょうか?
ピンク・レディーアメリカでの活躍の模様はここPINK LADY in U.S.Aに記していますのでご覧下さい。
 
同じくアメリカ進出が決定したライブの模様はこちらです
 
今、パフィがNYなどで子供を中心に人気を博しているようですが、またこれも違ったパターンかもしれません。
 
ピーナッツの海外でのことについては先日のBBSでピーナッツのHPを運営していらっしゃる方インファントさんとアンカーさんからの書き込み、そして たかはしさんの書き込みを読んでいただければおわかりになると思います。
 
そして、ピーナッツのページ「ピーナッツ・ホリデー」「イ ンファント島」それぞれに詳しいことはしるされていますので、是非ご覧下さい。
インファント島ではここに記載しています。(それぞれの管理人さま、ありがとうございます)
 
そして、もっと面白いことにピーナッツが人気を博したヨーロッパであのピンク・レディーのケイちゃんこと増田惠子さんがKeiのいう名前でソロデビューをしていたこと。(フランスです)
そのKeiちゃんの曲も評判はよくてアメリカでも人気があったとか?
そのKeiちゃんのフランスデビューに関してはこちらのページに記しています。
 
そしてもっと面白いことにこの曲「You Keep Me Hungin' On」 (シュープリームス)ですが、このモータウンの曲を通してこの二組はまた?がっていたのです。(HPではここに記しています
 
ピーナッツの場合、この曲をモチーフに書かれたのがこの曲「指環のあとに」(Blogに記しています
そしてピンク・レディーの場合この曲You Keep Me Hungin' Onはアメリカでの第3弾シングルとしてレコーディングまで終えていたそうですが、残念なことに発売には至りませんでした。
ピンク・レディーはファーストコンサートからこのYou Keep Me Hungin' Onをステージで歌っており、いわばデビュー頃から目指すべきものはココだったのです。
ザ・ピーナッツとスプリームスは同じ時期に日本とアメリカそれぞれで人気があったコーラスグループでしたから、そこを目指したのがピンク・レ ディーといった関係が非常に面白いと思います。
 
どちらにしても偉大な実績を残したザ・ピーナッツとピンク・レディー。
叶うことなら一度共演をして欲しいと思いますが、そりゃチト無理でしょうな。ハッハッハッ・・・(何者?)
おしまいっ!


 
ザ・ピーナッツ、ピンク・レディーそれぞれのデビュー曲
可愛い花とペッパー警部であります。
ザ・ピーナッツが昭和34年ピンク・レディーが昭和51年でした。
ザ・ピーナッツは昭和32年に上京し、初舞台は翌年の2月です。ミーとケイが産まれたのが昭和32年、33年ですからその頃には既に歌の世界に いたことになります。
でも、ミーとケイが産まれた頃にデビューなんてこれも何かの”ご縁”でしょうか?
 
戦後、アメリカから入ってきた音楽が浸透し始めていた頃、このポップスの世界でメジャーデビューしたピーナッツは新しい時代の申し子だったのか も知れません。
 
ピンク・レディーは完全オリジナル曲でのデビューでしたが、ピーナッツがオリジナルのシングル曲でのヒットといえば、実にデビューから3年後の 「ふりむかないで」でした。
しかし、以降オリジナルでのヒットシングルは後を経ちませんでした。今でもよく聴かれる恋のバカンス、恋のフーガを始めとして数多くのヒット曲 を持ちます。
 
ピーナッツのようにあえてオリジナルではなくカバーソングからのスタート。という手法は後のBaBe、Winkがあたります。
いい曲をカバーで出してころあいを見てオリジナルで勝負をする。それが当たればカバーとオリジナルのリリースを交互に繰り返し、人気を安定させ ていくということです。
それだけ、ポップスの世界ではまだ日本の方が遅れていたということなのかも?知れませんね。
 
ピンク・レディーも、シングルはオリジナルでしたが、デビュー直後からカバー曲は多く歌っていました。
その辺り、いつの時代もデュオ(コーラスグループ)の目指す位置はザ・ピーナッツだったのかも?知れません。


ザ・ピーナッツとピンク・レディーが歌う”大人”の世界


ピンク・レディーといえばキャラクター要素の強いヒット曲が多いので、何かと聴くというより踊るイメージが強いがそんな彼女達の歌にもザ・ピー ナッツのような雰囲気の曲がある。
ピーナッツは大人の曲と言われるヒット曲がたくさんあるが、ピンク・レディーも79年後半より、大人の曲が多くなった。
 
以上にあげた4曲は僕の好きな曲であります。
愛のゆくえ、ウナ・セラ・ディ東京、愛・GIRIGIRI、うたかた
どれもれっきとした大人の世界満載!
 
ザ・ピーナッツとピンク・レディーのジョイントコンピレーション盤をつくるときに思いましたが、愛・GIRIGIRIという曲をリリースしたと き、ザ・ピーナッツもイメージの中にあったのではないだろうか?と思いました。
ピンク・レディーらしからぬ曲だったからです。
ビートが聞いているわけでもなく、踊って歌うイメージでもなく、うたかたにしてもそうです。
だからこそ、なおこれらの曲があることがとても嬉しく感じます。



一方、こちらはそんな大人のドロドロした感じではなく、かわいいかわいいアイドル!としての曲。
 ジャケット写真をみているだけでも笑顔がこぼれてきそうですよね。 これぞ、青春のアイドル!かな?





そして、こちらはそれぞれ解散前、最終シングルではないけれど、だからこそ本音を歌っているのでは?というシングル曲。
ピーナッツはタイトルから分るとおり、別れを目前に控えて、しんみり別れを告げています。
一方ピンク・レディーの方は当時納得いかない解散を目前に控えて、激しく本音をぶつけています。「やるだけやった、あ〜この情熱を忘れはしな い」と。
 
時の流れの中で、今はほんの通過点となっている解散も当時は淋しかったですね。



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